神成 千代治

神成千代治 かんなりちよじ(1868~1946)旧鷹巣町


 

明治から昭和初期にかけての沢口村小森に味噌醤油の大きな醸造工場があった。高い赤煉瓦の煙突を持つ工場と、五棟の倉庫では、毎日十人近い若者が威勢よく働いていた。

ここの主人、神成千代治さんは、やせ型のせいの高い人で、りっぱなヒゲをはやし、町に出るときはいつも羽織袴に白足袋を着け、人力車でゆくその品格のある姿は村人の畏敬の的であった。

千代治は明治元年四月、小森の神成善治の長男に生まれる。小学校卒業後上京し、神田外語学院に学び、帰郷して明治十七年、小猿部小学校(後の七日市小)の教員となり二十五年には学校長に任命される。病気のため三年程休むが再び校長を務め三十四年に退職、多分このころから実業界に入ったものと思う。

また明治四十四年二月に七日市郵便局長に就任、昭和十七年三月までの三十一年間つとめる。

一時栄えていた味噌醤油の醸造業も不景気がおしせよる昭和の初めには、殆んど火が消え、赤煉亙の煙突が空襲の目標になるからと、とりこわされたのは昭和二十年八月十四日、終戦の前日であった。

彼は漢文と英語に通じ、東西の歴史を研究し、文学を好み、若い頃小石川で学んだ観世流謡曲を生涯続けた学習熱心な人であった。自転車、ラジオなど新しい文化はいつもこの家からはじまった。

反面、古武士的な風格があり、曲ったことは嫌いで、常に折り目正しく、家族へのしつけもきびしかった。戦時中は、各学校に頼まれ時局講演をし、昭和十五年、勲六等瑞宝章を授かり、昭和二十一年七十八歳で死亡す。

俳優の大坂志郎、陶芸家大阪澪は彼の孫である。

(資料:神成為治氏、孫・神成テイ氏談)

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