成田 直一郎

成田直一郎 なりたなおいちろう(1878~1935)旧鷹巣町


 

「直一郎氏は温厚な英国型の好紳士で、性活淡、実に潔白清廉な方であった。特に馬術が得意で容姿さっそう堂々としていた。しかし政略上のかけ引きには優れ、策謀は巧みであったが反面、情深い性格で、よく話を聞いて同情し人の面倒をみる方であった。」

これは「鷹巣郷土誌」人物編の一節で、鷹巣町の大地主の家に生まれ、町、郡、県、国政に参画すること二十八年の彼への評である。

直一郎は明治十一年三月、鷹巣町東屋敷(現米代町五)成田儀八郎(直衛の弟)の長男として生まれた。

鷹巣小学校卒業後、秋田尋常中学校に進み、明治三十年三月同校を卒業、早稲田大学の前身である早稲田専門学校に入り、同三十三年卒業、弘前騎兵第八聯隊に入隊、騎兵少尉となり、日露戦争に従軍、戦場に軍馬を送る予備馬廠長として活躍し中尉に昇進、明治三十九年召集解除、戦後の功により勲六等単光旭日章及び三百五十円を授与されている。

郷里に帰ってからの彼は、町議会議員(二十四年間)県畜産組合総代会議員、県会議員

(九年間)衆議院議員(四年)をつとめ、大正十五年、鷹巣町長に就任、二期八年間つとめる。

長男総一郎氏を訪ね思い出話を聞いたら、「子供には殆んど命令することなく、思ったとおりのことをやりなさい、という人であった。貴族院議員になった河田与惣左衛門さんに話しして、お寺と神社と太平山(旧太平山)に石灯ろうを寄付させたこと、町長のとき掛泥の原野で行われた草競馬に出て一等になって観衆を驚かしたことなど聞いている。」と語っていた。部屋には政友会総裁、犬養木堂(毅)の「成田君に贈る」という直筆の掛軸が飾られていた。(資料「鷹巣郷土誌」、長男・成田総一郎氏談)

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