中嶋 道枝

中嶋道枝 なかじまみちえ(1915~1979)旧鷹巣町


 

脇神公民館(生活改善センター)ホールの壁面に、生活改善実行グループの「活動実績表」を図表化したものを掲示してある。これは、リーダー・中島道枝さんが、地域住民と共に、課題解決にとりくんできた偉大なる足跡である。

昭和二十年代から三十年代にかけては、ようやく戦後の傷跡も癒えてくるが、旧来の習慣からくる問題が山積していた。

カヤぶき屋根の暗い農家のジメジメした万年床、栄養も休息も考えない主婦達は、働き疲れ若くして疲床につく人が少くなかった。

こうした状況の中で、彼女とそのなかま「あけぼのグループ」十二人は、第一次から第五次まで(昭二七―四四)改善計画を立て、まず、台所、寝室の改善から、家計簿・献立てを変え、地域全体の体質を変えたのである。

昭和四十四年八月二十二日、北海道東北地区を代表して「グループ活動が地域の生活改善に発展するまで」と題する彼女の発表は農林大臣賞と、毎日新聞の各誉賞を受賞した。

道枝は大正四年鹿角市小坂町の旧制中学教師の六番目の子として生まれる。女学校卒業後上京し、洋裁の勉強をする。昭和十二年、脇神の中島信義氏と結婚同十五年、夫と共に中国大陸に渡る。

昭和二十年、敗戦により引き掲げ、農村の荒廃に驚き、夫と共に農業を営みながら、生活改善運動にとりくむ。丁度そのとき、沢口では中島照氏の指導により婦人運動が進められており後女はその実践活動の中核としてはたらいた。

毎月の「青空市場」、仲間と合うことを歓ぶ「ねむの会」など、彼女の思想々は脈々と、現在の婦人活動に受け継がれ、今後の町づくりに、大きな役割を果している。昭和五十四年十月、彼女が亡くなられた時の法要はその意志をつぎ婦人会の手づくり料理であった。(資料「私の歩いた田舎道」)

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