岩川 雄二郎

岩川雄二郎 いわかわゆうじろう(1872~1939)旧鷹巣町


 

雄二郎は明治五年五月十五日岩川佐治衛門の三男として、鷹巣町六十九番地に生まれる。

大正十年、町会議員として当選、以来連続四期にわたって町政に参画する。

鷹巣小学校の校地拡張計画が難行していたとき、彼が直接地主と交渉して解決した。また、住吉町を初めて開くとき、いろいろと反対意見が出た。彼は強い口調で「北秋、阿仁部の中心地であるわが鷹巣町が、町の拡張を卒先してやらなければいけないし、こうした考え方が町の発展の基礎である」と論じて議員を説得した話は有名である。

明治四十二年、仲町に活版屋(印刷業)を開き、まもなく駅前通り(福住町)に移転した。当時の活版屋は大館でも北鹿新聞社以外は一軒しかなく、鷹巣における彼の活版屋は設備もよく、進歩的で、町の文化の発展に大きな役割を果した。

昭和七年十二月から九年十一月まで鷹巣町長に就任する。この頃は末曽有の不況時代で、東北農民は大変苦しい生活であった。彼は庶民の経済更生と失業救済を重点に町政をすすめた。

失業者を救うために道路の改修事業を起す一方、町財政の切りつめをし、公益質屋の町経営、職業安定所の開設など、次々に実行に移し難局打開につとめた。

また、成田直衛翁記念図書館を設立、向学の志に燃える若者たちの便を図り有為の人材を多く世に送り出した。

町長を辞して後、印刷所の専務取締役、神社、寺の総代をつとめる一方、号を「老人」と称し読書三味の余世を送り、昭和十四年七月十日に亡くなられた。

大正時代に創業された彼の会社は、昭和になって「昭和堂」と改称され当時の新聞販売部、印刷部は廃止、薬剤部だけが現在につづき栄えている。昭和堂店主・岩川貢氏(注:故人)は彼の孫である。

(資料「鷹巣郷土誌」と村上薫氏談)

この記事を見た方はこんな記事も見ています

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です