石川 道賢

石川道賢 いしかわどうけん(1807~1897)旧鷹巣町


 

幕末から明治にかけて、前山に石川道賢という偉い先生がいて、寺小屋を開き多くの弟子に読み書きを教えていた。この方は漢方医で、前山の道賢といえば、地方では名の知れた名医でりっぱなヒゲをはやしていた。

彼は絵をかき、俳句をたしなみ、号を美蓉亭、または一山といった。当時の前山は六十軒ぐらいもあったろうか。彼は自分の作品を各家々に贈った。どこの家でも大晦になると、その掛軸をかけ、餅やお酒をあげて子どもたちにも拝ませ正月を迎えるならわしになっていた。

貧しい百姓の子相手の寺小屋の習字は、紙の代りにお膳に灰をならして指で練習することが多かった。

彼の息子、賢造(今泉からの養子)も塾の先生であった。しかし明治十五年、前山に「巡回授業所」というのが創設され、鷹巣小学校から受業生として高学年の生徒が回ってきて読み書きを教えるようになって廃業し、店を開き酒や駄菓子などを売って生計をたてていたが、孫の代になって上方へ移って行った。(現、小笠原哲雄宅のある所)

合川町木戸石、藤島国太郎所蔵の彼の作品、水墨画に俳句、

“百蔵の多年の杖ぞ梅柳”

明治二十八年誕生の日

八十九翁 一山 一枯一栄

彼の生年月日も没年も不詳であるが、この軸掛から推測すると、文政年間の生れで晩年「九十じサマ」と呼ばれていたことから、百歳めあてに誦んだ句と思われる。

前山墓地に「一山院釈道賢定位」と刻んだ彼の墓石(一向宗)があったが、五年程前孫の祐一(七九歳~東京都荒川区南千住五の一五の二)祐二(七四歳東京都稲城市百村一四二)が墓参りに来て持ち帰ったらしく今はない。

(資料「七座郷土史」並びに藤田由太郎、小笠原広治、戸沢類治、藤島リサ談)

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