細田 茂吉

細田茂吉 ほそだもきち(1873~1914)旧鷹巣町


 

茂吉は明治六年、茂兵衛の長男として鷹巣町現米代町五の六二に生まれた、鷹巣小学校を卒業した。十七歳の時、父の急死にあい家業に専念し、昆虫学に興味を持ち、農作物の病虫害の予防、駆除法を研究していた。

その頃農村では、青年達が都会をあこがれ、村を離れる者が増えていた。

彼はそうした風潮を憂い、二宮尊徳の報徳思想によって農家の自力更生をはかろうとしていた。

明治四十二年、二十七名の同志と共に報徳社を結成し、推されて社長となる。勤勉、倹約、分度、推譲と、四つの徳目を日常生活の実践し、経済と道徳の調和をはかろうとするものである。貯金をすすめ、会員相互の経済援助のための組織をつくり農業倉庫の経営をするなど、つぎつぎと事業を実行した。

今の女子専門学校のあるあたりは彼の畑であったが、苗圃六○アールを造成し、町有地一五○haに計画的な植林をした。また、鉢巻山五haに学童と共に植林し鷹巣小学校の学校林とし、将来の学校運営の財源とした。

なかでも大きい事業は、耕地整理組合を結成し、中岱一帯の広い水田の基盤整備を完成させたことである。成田直衛、儀八郎という大物がバックにいたが実務は専ら彼の手によるものでこうした事業は秋田県では初めてのことであった。現地視察に来られた森正隆知事は整然とした耕地に感嘆し、

「ゆがみたる田のくろあぜのあとたえて、正しき道のかよう御代かな」と詠み、色紙を贈って彼の労をねぎらった。

彼は農聖石川理紀之助翁の門人として各地の農事指導にあたったが、過労のためか大正三年四月、四十三歳の若さで亡くなられた。

浄運寺の入口には彼の顕彰碑が建っている。

大堤で農業を営む細田敏明さん(現教育委員長)は彼の孫で当時の写真など所蔵しておられる。

(資料「鷹小百年誌」)

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