三沢 元

三沢元 みさわげん(1879~1969)旧鷹巣町


 

三澤元氏は明治十二年、綴子大堤の三澤家に生まれ、幼名を宇吉といっていたが後、元と改名、田中の三澤家に養子となる。

明治三十二年、秋田師範、簡易科(二年)を抜群の成績で卒業する。師範創立百周年に彼の成績表が展示されたとき、十三教科全部が学級の最高で、平均点が九十七点で、常に学級のトップであった。

卒業後は鷹巣・大館の小学校に訓導として勤務。明治三十九年二十八歳で山田小学校長(田代町)に抜てき任命された。山田小学校は校舎焼失直後で農家を借りての分散授業であったが部下職員と共に一意専心、児童の訓育に努め、在勤五年間に後日全県下の産業界・官界の大物なる人材を出している。

その後釈迦内小、鷹巣小、米内沢小学校長を経て昭和五年三月再び鷹巣小学校長兼、町立実科女学校長となる。学校長としての彼は謹言実直、不言実行、そのもので、毎日提出される部下職員の指導案に的確な文章でキチンと指示し余計なことは一言もいわない人であった。校舎周辺の整備作業も、常に陣頭に立って黙々と働く人であった。今、児童公園にある大樹は、彼が校長時代に児童の卒業記念に植えたものを移したものである。

昭和七年一月、県の天下り人事でポストをあけなければならず、教職を去り、十四年から十八年まで綴子村長に就任する。

村の発展はまず道路から、と村民待望の鷹巣までの道路の大改修を県に陳情し、戦争のさなかにこの大事業をなしとげた。

戦後は、昭和二十七年四月から、秋田服装専門学校北秋分校主任(鷹巣仲町)として四年勤務、八十歳を過ぎてから綴子村史の編さんにとりかかり、自ら委員長となり資料を集め刊行する。

常に姿勢を正しキチンとした方であった。

(資料:三澤元功績調書、並びに二階堂善三氏談)

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