成田 儀八郎

成田儀八郎 なりたぎはちろう(1852~1901)旧鷹巣町


 

成田儀八郎は嘉永五年六月十八日、良左衛門の第三子として生まれる。児童公園に胸像の建っている成田直衛翁の弟である。

兄直衛は県や国の中央政界で活躍した人であるが、儀八郎はその留守中の家を守り、町や郡において郷里の政治、経済の発展につくした人である。

明治初期は藩政から、新しい自治組織が固まるまで、常に揺れうごいていた。明治十二年、はじめて今の自治体役場にあたる 長役場が設置され、彼は初代戸長となる。

明治十四年、第一国立銀行鷹巣出張所事務取扱いを依託され、彼は自宅の一部を事務所とし業務を開始する。

明治十五年、再び戸長に就任、明治二十二年、帝国憲法が発布され、市町村制が施行され、彼は鷹巣村の村長となる。また、この年の四月、県会議員にも当選、同二十四年までの一期間県政に参画、県会では特に畜産振興のために全力をつくす。

これより先、兄直衛は早口村平滝台に広大な牧場の経営をするが、政治活動が忙しくなるとその一切を彼に譲り渡すことになる。彼は、明治二十年、県内では初めて種雄馬アルゼリー号を購入、馬産改良につとめた。同二十八年、京都で開かれた第四回勧業博覧会に、その子馬雑種雄馬を出し、二等賞を獲得した。機械の発達しない当時は農耕馬、軍馬の重要な時代であり、秋田県家畜界が全国に名をあげた快挙であった。

明治二十四年第一回郡会議に当選。同二十八年、三たび村長に選ばれたが四カ月で辞任、同二十九年、第一回国立銀行秋田支店閉鎖によって安田銀行代理店として依託され、兄直衛と共に金融業につくした。

明治三十二年九月、県会議員に再選、同三十四年四月病没、その時の兄直衛の悲歎の心境が日記に書かれている。歿後、浄運寺境内に頌徳碑が建立された。宮前町、成田総一郎さんは彼の孫である。

(資料:村上薫氏調査原稿、二階堂善三氏談)

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