小坂 祐松

小坂 祐松


 

明治十三年、合川町上杉、工藤東十郎の弟として生まれ、東京帝国大学農学部実科を卒業、県庁の技師となる。栄村、小坂保太郎の長女に婿入りし、山本郡役所、北秋田郡会技師として重きをなしていたが、大正十三年懇望されて栄村長となる。

当時の栄村は戸数約二百五十戸の小さな村で、米代川に橋がなく、摩当と太田の間は渡し舟で往来しなければならなかった。

彼はまず、この不便を解消することが村政の第一と考え、米代川に橋を架けることを決意し、大正十四年に完成、県道に昇格させた。財政力の弱い小村が独立でこのような大事業を遂行することは大変なことであったが、当時の木橋は洪水の度ごとに流されることが多く、その後の復旧工事は県費でやられるようになった。

橋ができたことにより、太田摩当の両尋常小学校の統合が可能になり昭和三年字古川敷(現在の東小学校の西南二百米)に、栄尋常高等小学校として、立派な校舎が新築された。そして、産業教育をとり入れた学校経営(学校長九島与治郎)がなされ全県的に注目を浴びた。

その頃は不況時代で農家の生活は苦しかった。彼は養蚕振興のため桑園を造成し、ワラ工品組合並びに木炭組合を設立し、副業による収入を増やすことにつとめた。その業績が認められ、村は農林省経済更生指定村となる。昭和六年には自ら産業組合長に就任、組合区域を全村に拡充し運営改善にあたり、その抱負の実現が期待されたが同年十二月十一日、太田部落常会で村政の説明中に狭心症で倒れ、かえらぬ人となった。

彼は資性温厚にして至って寡言であったが、いざとなると雄弁家で、職務は真実熱意を込めての実践力行の人であった。在任僅八年であったがその功績が大きく、全村民に惜しまれ、村葬が行われた。摩当の小坂保雄氏は彼の長男である。

(資料:村上薫氏調査原稿)

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