中嶋 照

中嶋照 なかじまてる(1889~1973)旧鷹巣町


 

明治二十二年三月、東京都牛込富久町一九、大和田敬時の二女として生まれる。同三十九年日本女学校を卒業、大正七年、在京中の沢口村川口の中嶋京四郎と結婚する。

大正五年には市川房枝、平塚雷鳥らの提唱する第一回全日本婦選大会に参加、以来婦人参政権獲得のため、持ち前のファイトで、天真爛漫な性格を発揮し、体当り的な運動を展開する。

昭和五年、夫にしたがって帰郷、夫は沢口村の村長となる。郷里では、秋田市の和崎ハルらと婦人参政権獲得同盟で大活躍、村民の信望厚く沢口村婦人会長となり、農村特有の封建性打破と婦人の体位向上に努力する。

そして、村民の和を求めることに努める一方、農繁期には部落の神社境内に託児所を開いて自らオルガンをひいて幼児を喜ばせたり、生活改善運動として農家の万年床廃止、寝室の窓を大きくして風とおしをよくすること、台所を衛生的に改善することをすすめ、栄養を考えた料理方法を伝授した。また、沢口小学校の先生を講師に男子の夜学、女子の白百合学級を開設して青年教育にも力を入れる。

昭和二十一年、北秋田郡連合婦人会長、同二十六年、沢口村村会議員に当選、町村合併までの五年間勤め、また鷹巣町公明選挙推進委員として買収供応追放、投票総参加運動を積極的に推し進める。

東京出身だけに言葉がきれいで、スケールの大きいものの考え方と行動力は多くの婦人たちを引きつけ、昭和三十七年まで十七年間、郡婦連会長の要職にあり県北地方の近代化に大きく貢献し、勲五等瑞宝章、県文化功労章を受ける。昭和四十八年七月大舘市立病院で「婦人よ、地位を高めて下さい」の言葉を遺して八十五歳の生涯を閉じた。遺骸は遺族と婦人会幹部の手により丁重に葬むられた。

(資料:村上薫氏調査原稿並びに「秋田人名大事典」)

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