相馬 栄治

相馬栄治 そうまえいじ(1872~1952)旧鷹巣町


 

大町(旧仲町)に高い石垣塀の屋敷がある(注:現在は葬祭ホール)。門を入ると高い樹木に囲まれたカワラぶきの立派な家がある。明治から昭和の戦前まで、大富豪として近郷に名をとどろかした相馬家の大邸宅である。

栄治は明治五年十一月、相馬友吉の長男として生まれた。明治二十一年、十七歳で上京し、東京英語学校、東京物理学校、慶応義塾学校等に学び、米穀取引員となる。

やがて彼は自分で店を開き、お金をたくわえ、相場をよく研究し大もうけをする。当時、小学校長の月給が百二十円程度であったので、彼の財産が三百万円ということで、世間の人々は目を白黒させて驚いたものであった。しかも、東京市場での米の相場は相馬栄治の手の打ち方で大きく左右されるということで、その実力は全国的におそれられていた。

彼は「唯一人之力」を座右の銘とし、常に独立独歩の精神で事に当り、他人を頼らず、自らの判断力と実行力を唯一の頼みとして日本財界に大きな力を発揮した。

そして郷里鷹巣に豪壮な家を建て、広い耕地を手に入れ大地主になった。戦後の農地改革でその土地は耕作者の所有になったが今でも「相馬田」と呼ばれている所が方々にある。

彼はその財力で公共のためにつくすことを忘れなかった。昭和初期、鷹巣町立実科女学校(鷹巣高校の前身)校舎建築費として一万円を寄付した。この額は今では数千万円に相当する。

また、警防団への多大な寄付浄運寺に山門寄贈、その他数々、町の発展のために大きく貢献しその功労で紺授褒賞を賜る。

小説「チャタレー夫人の恋人」の名裁判官相馬貞一氏、弁護士相馬準一氏兄弟は、黒沢の大川家出身であるが、彼の甥に当り相馬家へ養子になった方である。

(資料「鷹巣郷土誌」および二階堂善三氏談による)

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