磐若院 玉峯英泉

磐若院玉峯英泉 はんにゃいんぎょくほうえいせん(1714~1782)旧鷹巣町


 

綴子神社の社家武内氏、神宮寺十四代烈光の弟で、正徳四年九月二十八日に生まれる。九歳の時綴子内館塾に入門する。その頃の内館塾は、漢学者宮野尹賢のもとに方々から多くの門人が集まり全盛をきわめていた。

十三歳になって神道家の道に入る。この時彼は生涯、酒色を絶って修業しようと固く決心する。彼の修業は兄烈光の影響もあってきびしく、学問も深まり、向学の希望いよいよ強く二十七歳の時京都にのぼる。

最初、京都醍醐三宝院に属し翌年、堀川学派松岡玄達の講席につらなって論語、易、神代巻、中臣祓等の講議を受ける。玄達は伊藤仁斎に師事し国学、医学にも有名で当代第一の学者とされていたので、その門下となったことで、彼の学風は大きな影響を受ける。

延宝三年(一七四六)からはこれまで学び研究したことを広めるために、江戸に行き、山形に行き、はるばる船で九州に渡るなど講義行脚の旅を続け、その間に数回京都にもどって研究を深める。

郷里綴子に帰ってからは、内館塾で多くの門弟への教授のかたわら著述をしながら北秋、山本、南秋地方への出張講義をするなど休むことのない日々であった。

晩年、田中の里、田ノ沢に草庵を建て悠々自適の生活を送り天明二年二月四日、六十九歳の生涯を閉じた。

英泉の著作は修験道や神道に関係したもので、その数は著書百巻、写本四百巻におよび、中でも功績の最たるものは「孔雀経」の枚訂本三千部で、彼の死後寛政五年に京都で刊行されている。

生涯肉食妻帯せず、徹底した禁飲精進による数多くの著作品は、綴子の内館文庫に保存され県の文化財に指定されている。

(資料「綴子村史」「秋田人名大事典」)

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