斎藤 伊勢

斎藤伊勢 さいとういせ(1602頃~1672)旧鷹巣町


江戸時代初期米代川べりに、石ノ巻村、大柳岱村、鷹巣村、孤台村(中岱西方)と、三~七軒と小さな集落が点在し、細々と農業を営んでいた。

関ケ原の戦の後、世は太平の時代に入るが、諸大名は参勤交代等で財政は苦しかった。慶長七年常陸の国から秋田に移された佐竹候も藩財政を豊かにするため、積極的に新田開発をすすめていた。特に広い原野を持つ北秋地方は開拓地として有望視された。

大館城代佐竹氏は家老小山縫之丞を鷹巣村に派遣し、斎藤伊勢を村長に任命し、新田開発の大事業に着手させたのは慶安元年(一六四八)のことである。

伊勢は、官より派遣された技術員小山氏と共に、和田喜右衛門、下総の伊藤弥左衛門等の協力を得、村人を指導督励し、計画にしたがって工事をすすめた。

毎年のごとくやってくる洪水から守るために堤防を築くこと、上流から水をもってくるための水路を堀ること、すべてが鍬で土を堀り、モッコで運ぶ作業は文字どおり、千辛万苦のたたかいであった。原野に水が引かれ田圃ができ、秋には黄金色の稲穂が波打つようになると、村人たちは水難のない台地上に家を移し現在の仲町、横町ができた。やがて、市場が立ち、市日には近郷から多くの人々が集まってきた。神社やお寺も現在地に移され建立された。

伊勢の生年月日は不祥だが寛文十二年四月没と記録され、七十歳前後であろうと伝えられている。当時の松林が今は市街地になり、当時の水路跡に「古関」の地名が残っている。伊勢の屋敷跡仲町には文化二年(一八○五)に建てられた成田庫之助氏宅が現存している。

(資料「鷹巣郷土誌」)

 

この記事を見た方はこんな記事も見ています

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です