青山 清左衛門

向銀山の最初の山師 青山 清左衛門(江戸前期)旧阿仁町


江州(近江の国)の商人であった青山清左衛門は、承応元年(1652年)より向銀山の開発に携わる。当銀山に残る記録によれば、最初の山師と記されており、以降青山氏は代々山師として鉱山に関わり巨万の富を築いていくこととなる。

写真は阿仁鉱山

写真は阿仁鉱山

山師である青山氏は鉱脈を見つけ、鉱山の伐採を行うなど鉱山技師として鉱山家業を専業とする鉱業の請負主であり企業家として活躍。寛文二年(1662年)には、菩提寺の善導寺に梵鐘を寄進。その重さは80貫(約300kg)にものぼるものとなった。その後、正徳年間(1711-1716年)に善導寺の梵鐘を改鋳している。重さ150貫(約562kg)で造られ、この中には金3貫(約11kg)が含まれていたと伝えられている。善導寺の梵鐘が響かせる鐘の音は、「善導寺の鐘声、坂のそばきり、九郎豆腐と、この三品を阿仁の名物とて」と旅行家で博物学者の菅江真澄もその遊覧記に記しており、遠く米内沢まで響いたといわれている。残念ながら、大東亜戦争に供出されて今はない。

青山氏が寄進、または建立したものとして、銀山神明社の宝鏡、善導寺の梵鐘、向山不動尊があるほか、土崎港に居住した頃の名残として、青山小路の名は今でも残っている。

関連リンク:異人館・阿仁郷土文化伝承館

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